自己紹介

吹田市, 大阪府, Japan
私たちは一般財団法人梅研究会のスタッフです。 1978(昭和53)年の創立以来、梅肉エキスやすっぱい梅干など、梅のよさを一人でも多くの方に伝え、健康に役立ててもらたいたいとの思いで、梅の学術研究・啓発・普及に努めてまいりました。 これからも一層、皆様に健康になっていただけるような情報をお届けしてまいります。 http://www.umekenkyuukai.org/

2009年11月26日木曜日

『梅家族』12月号のゲストは滝田栄さん

『梅家族』12月号の対談ゲストは、俳優の滝田栄さんです。

滝田さんは、これまでに数多くの舞台やドラマにご出演されています。
NHK大河ドラマ『草燃える』や『徳川家康』、朝の連続テレビ小説『なっちゃんの写真館』での好演は、いまも多くの方のご記憶に残っていることでしょう。
『料理バンザイ!』や『ふるさと一番!』などのテレビ番組で、にこやかにお話されている姿を思い浮かべる方も多いかもしれませんね。

穏やかななまなざしと優しそうな笑顔がとても魅力的な滝田さん。
紘斉先生との対談でも、終始にこにことされていました。
そんな滝田さんが、俳優の道に進まれてから現在にいたるまでのご活動について、そのときの心境をまじえながらさまざまに語ってくださいました。

なかでも、とりわけ興味深かったのが、NHK大河ドラマ『徳川家康』で主役の家康を演じた時のエピソード。
大河ドラマの主役が決まったとき、大変喜ばれたそうですが、いざ家康の役づくりをしようとすると、家康がいったいどういう人物だったのか、その人物像がつかめずにずいぶんと悩まれたそうです。
ついには失踪することまで考えたそうですから、滝田さんがどれだけ真剣にこの役に取り組まれたのかが、うかがえますね。

そんな滝田さんが、家康の人物像をつかむために取ったある行動とは?
そして、家康の役づくりに悩まされ、極限まで追いつめられた滝田さんに、一筋の光明をもたらしたある出来事とは?

こたえは、『梅家族』12月号をご覧ください。

このときのエピソードのほかにも、ミュージカル『レ・ミゼラブル』の主役ジャン・バルジャンを務められたときのお話や、現在、心血を注いでいらっしゃる仏像制作のお話もおうかがいしてきました。
滝田さんは、瀬戸内寂静さんから「仏師としての腕前は本物」というお墨付きをもらうほど、素晴らしい仏像をお彫りになられます。
『梅家族』12月号には、滝田さんが彫刻された高さ167cmの不動明王像の写真を掲載させていただきましたが、この写真だけでも一見の価値ありですよ!

『梅家族』12月号をご購入&プレゼント応募にご応募いただいた方には、滝田さんの直筆サイン入り本『滝田栄、仏像を彫る』(毎日新聞社)を、抽選で1名様にプレゼントいたします。
この本は、滝田さんが、ご自分と仏教との関わりをつまびらかに著したものです。
これまでに滝田さんが彫刻された仏像の写真も多数収録されています。

『梅家族』12月号をすでにご購入済みの方は、付属のアンケート用紙かはがきでご応募ください。

これから『梅家族』をご購入される方も大丈夫です! まだプレゼント応募に間に合います!!
ご購読の申し込みは、0120-06-2468(土日祝除く9:00〜17:30受付)までお電話いただくか、梅研究会ホームページの「健康情報誌・梅家族」→「『梅家族』購読のご案内」からお申し込みください。
大勢の皆様のご応募を心からお待ちしています!


『滝田栄、仏像を彫る』(毎日新聞社)

2009年10月6日火曜日

『梅家族』11月号のゲストは綾戸智恵さん

『梅家族』11月号「いきいきインタビュー」のゲストはジャズシンガーの綾戸智恵さんです。
綾戸さんは40歳でメジャーデビュー。パワフルな歌唱力と同じくらいパワフルなトークで一躍人気者に。“コンサートチケットがもっとも手に入りにくい歌手”といわれ、数々のステージをこなしてこられましたが、デビュー10周年を迎えた昨年、脳梗塞を患った実母との時間を大切にしたいと音楽活動の休止を宣言。1年余りの時を経て9月から活動を再開なさいました。

「『(この先)そんな長くないのにリハビリはつらい』と、車いすになった母がいったことがあったんです。確かに、そりゃ、母のこれまでの人生と、これからの人生考えたら、ここから先のほうが短いですよ。これははっきりといえます。ですけど、私は母に、1日たりとも生きてる日を死んでるようにすごしてほしくはないんです」

「生きてるあいだにいいことって、あんまりないように思うんです。悪いことのほうが多いんですよ。でも悪いことがあったときのほうが、ちょっとしたいいことが、ものすごくよく見えるんですよね。しっかりうれしいためには苦労しないといけないと思います」

「音楽は個人の感覚なんです。だからジャンル分けっていうのは、しっかりしてないんです。ジャズをどこのジャンルに置くとかも個人の感覚なんですよ。でも、お客さんがこれ聴きたいという心のジャンルだけは、これはもうお客さんの心のなかにあるんです」

「国を変えるのは国ではなく人ですね。私が車いすを押してエレベーターに乗ろうとすると、若い子が車いすが降りる前に乗ってきたりします。私『降りー!』っていいます。みんな『あっ、どうも』なんていって、悪びれず降りますよ。人間、本当は、心のなかではいいことしたいんですよ。でも、知らないのでできないだけなんです。私たちのように手伝ってもらう立場のものが、あまりにもオーダーを出さないからできないんです。若い人のマナーが悪いのは、日本の年よりのせいでもあるんです」
本誌では紹介しきれなかった綾戸さんのお話のほんの一部です。

※『梅家族』11月号をお読みの方に、綾戸智恵さんの直筆サイン入りCDを抽選でプレゼントします。詳しくは『梅家族』11月号をお読みください。『梅家族』11月号は、10月15日前後に、皆様のお手元に届く予定です。
これから『梅家族』の購読をご希望される方は、左上の『梅家族』購読のご案内をクリックしてご覧ください。
大勢の皆様のご応募を心からお待ちしています!




2009年8月25日火曜日

『梅家族』10月号のゲストは児玉清さん

『梅家族』10月号(9月中旬発行予定)の対談ゲストは、俳優の児玉清さんです。
東京のホテルにて、児玉さんと紘斉理事長の対談が行われました。

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対談は、児玉さんが俳優になられたきっかけのお話から始まりました。
最初は俳優になるつもりはなかったという児玉さん。
運命のいたずらのような展開で、俳優の道に進まれたことを知ってびっくりしました。
存在感のある演技で一流俳優としての地位を築かれている児玉さんですが、俳優になられた当初は、さまざまな逆境を乗り越えてこられたそうです。
先輩俳優との衝突、映画撮影での試練…。
とくに興味深かったのが、世界の黒澤明監督との撮影エピソード。
詳細は『梅家族』に譲りますが、穏やかな雰囲気の児玉さんからは、ちょっと思いがけない一面を拝見できました。

そして、忘れてはいけないのが『パネルクイズ アタック25』です!
皆様もご存知の通り、今年で35年目に入る超長寿クイズ番組です。
児玉さんといえば、この番組の司会者としてのお姿をまず思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
もちろん、紘斉理事長からもこの番組に関する質問が出ました。
いったい児玉さんと紘斉理事長が、どのようなことを語り合ったのか……。
気になる方は、『梅家族』10月号の発行まで、もうしばらくお待ちください!!……と言いたいところですが、せっかくこちらのブログを見てくださった皆様のために、特別にひとつだけ先にお教えしましょう。
児玉さんは、この番組のことを「人生そのもの」とおっしゃっていました。
「だから、長年の間、司会をやっていても飽きないし、こんなにおもしろい番組はない」そうです。
どういう意味か気になる方は、『梅家族』10月号の発行まで、『パネルクイズ アタック25』を見ながら、児玉さんの言葉の意味を考えてみてくださいね。

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今回、児玉さんにお会いしましたが、テレビで拝見するお姿そのままに、スラリと背が高くて上品な物腰の方でした。
お話の内容をうかがっていても、1つ1つの事柄をとても深く考察されていて、ご自分の考えをしっかりお持ちだと感じられました。
かといって、けっして気難しいわけではなく、紘斉理事長の質問には、次から次へと興味深いエピソードの数々を気さくにお答えくださいました。
『梅家族』にすべてのお話を掲載できないのが残念ですが、どうぞご期待ください。(N)


『梅家族』10月号をお読みの方に、児玉清さんの直筆サイン入り本を抽選でプレゼントします。詳しくは『梅家族』10月号をお読みください。
『梅家族』10月号は、9月15日前後に、皆様のお手元に届く予定です。
これから『梅家族』の購読をご希望される方は、左上の『梅家族』購読のご案内をクリックしてご覧ください。
大勢の皆様のご応募を心からお待ちしています!

2009年8月12日水曜日

『梅家族』に好評連載中の加藤タキさんのエッセイ『学んで老いず』の挿絵を描いてくださっている画家・えとうまさゆきさんにインタビューしました(えとうまさゆきさんのご了解を得て『梅家族』に掲載された挿絵を公開します)。
『梅家族』2009年8月号より

月並な質問ですが、絵を始めたきっかけは?
「2歳くらいだったと思うのですが、父がぼくをひざにのせて、機関車の絵を描いてくれたんです。何も描いていない白い紙に、機関車の車両が連結してどんどん長くなっていくという情景が、鮮烈な記憶として残っています。それがぼくの原体験であり、絵を描くきっかけとなったように思います」

つまり、2歳にして絵の魅力に取り憑(つ)かれてしまった!
「実はぼくは小学校浪人をしてまして…というのは冗談で、父の転勤が多くて幼稚園に行かなかったんです。だから、みんなが幼稚園に行っているあいだ、動物図鑑を写し続けるとか、とにかくずっと絵を描いていました。そのときは、幼稚園に行っていないことが少しさびしくもあったのですが、今思うと、ひたすら描き続けたその毎日が、この仕事を選んだことに関係しているように思います」

ほんとうに小さい頃から、絵を描くことがお好きだったんですね
「小学校5年生のときには、将来はイラストレーターになると言っていました。この道に進むことを迷ったことは1度もないですね」

油絵や絵本、アニメの制作、CDジャケットのデザインと、さまざまなジャンルで、いろいろなタイプの作品を手がけておられますね
「自分の表現方法をまだまだ決めてしまいたくないという思いがあるんです。だから大きい仕事だとか、小さい仕事だとか考えず、何でもやっていきたい」

子どもたちの絵画教室をずっと続けておられるのはどうしてですか
「子どもたちのいろいろな表現方法に接することで、自分が子どもだった頃のイメージを確認するという意味もありますし、子どもたちはそのときの時代の流れを敏感に表現しようとするからおもしろい。刺激になります」

最後に、今後の抱負を
「表現方法は変化し続けるものだと思っています。だから、自分がどんな表現方法を見いだしていくかは未知数です。でも、これからも描き続けることは間違いありません。どこに行くかわからない自分を楽しんでいきたいと思っています」(F)


『梅家族』2009年7月号より






2009年7月24日金曜日

梅研究会では梅仕事の勉強のために、毎年、梅干をつくっています。
今日は土用干しを行いました。
真夏の太陽の下、塩漬けした梅を一粒一粒、丁寧にザルに並べていきます。



まず3時間ほど干し、ひっくり返して、また3時間ほど干します。
汗はダラダラ、肌はチリチリ、目はチカチカ。
暑いです。腰も痛い。膝も辛い。
土用干しは過酷きわまりない作業です。

でも、土用干しを行ったかどうかで、梅干の味は格段に変わります。
だから、どんなに辛かろうが、暑かろうが、土用干しを行うわけです(土用干しの利点は、「紘斉先生のヘルシーネット2009年7月16日分」に詳しい解説がありますので、そちらをご覧ください)。

すべては、おいしく、からだにいい、すっぱい梅干のために。

灼熱の太陽に照りつけられながらも、ただ静かに干されている梅干を見ていると、いとおしくなってしまいます。
この思いが、梅干の味をさらにおいしくさせるのでしょう。
できあがりが待ち遠しい限りです。



なお、土用干しは、炎天下での作業です。
熱中症にはくれぐれも注意して、作業を進めてください。
現在、発売中の『梅家族8月号』「松本紘斉の梅で元気!」では、熱中症を詳しく取り上げています。こちらもあわせてご覧ください。(O)

2009年7月14日火曜日

梅研究会では、梅仕事の勉強のために毎年梅干を漬けています。

今日は、塩漬けにしていた梅の実に赤じそを加えて、しそ漬けにしました。


まず、赤じそを茎つきのまま洗って、茎を輪ゴムなどで縛って逆さにつるし、しばらく陰干ししました。


葉が乾いたら、赤じその葉を一枚一枚丁寧にちぎります。赤じその葉をボウルに移し、塩を振って力強くもみます。

もみ続けていると、みるみるカサが減り始めました。しんなりしたら、強くしぼってアク汁を捨てます。

これはかなりの重労働で、額から汗も滴り落ちてきます。


再び塩を振ってもみ出すと、今度は濁った紫色の汁が出てきました。どうやら、本日最大の見せ場を迎えたようです。

ドキドキしながら、この汁を塩漬けにした梅の実の容器に移しました。すると、濁った紫色が、一瞬にして鮮やかな赤色に!

う、美しい。

なんだか、染織家になったようで、気分がいい。自然がつくり出した赤色を眺め、しばし呆然としてしまいました。


あとは赤じその葉を梅の実の上に敷き、土用干しを待つだけです。おいしいすっぱい梅干ができあがるまで、もう少し。

次はどんな姿を見せてくれるのか、楽しみです。(O)

2009年7月8日水曜日

『梅家族』9月号・10月号用のお料理の撮影に行ってきました!
「おはようございます」と挨拶してスタジオに一歩入ると、料理講師の藤本先生やカメラマンの宮本先生、それに撮影アシスタントの方々がにこやかにご挨拶してくださいます。
準備がすべて整ったら、撮影はすぐに
スタート。
藤本先生によって美しく器に盛られたお料理を、宮本先生が撮影していきます。
いつものことながら、とても手際が良く、藤本先生と宮本先生のコンビネーションは抜群です。
そのうえ、撮影の合間におふたりが時折かわす会話はまるで漫才のようで、スタジオの雰囲気は終始和気あいあいとしてなごやかです。

今回は、撮影後に、特別に藤本先生と宮本先生にインタビューさせていただきました。

(写真後列・左から)
料理講師:藤本先生
有限会社食プロデューサー:田中さん
料理写真家:宮本先生
(写真前列)撮影アシスタントのみなさん


◆料理講師:藤本喜寛先生◆

お料理の講師だけでなく、料理店舗コンサルティングやパーティー&イベントのプロデュースなど、さまざまなフードビジネスに携わっておられる藤本先生。
とても明るいお人柄で、撮影中はいつも冗談をいって、その場の雰囲気をなごませてくださいます。

そんな藤本先生が、お料理を始めるようになった発端は高校生のとき。
藤本先生のご両親は休日もお仕事で忙しく、家におられないことが多かったことから、ご自分でご飯を作るようになったそうです。その後、親元を離れ、レストランに住み込みで2年半ほど働いていらっしゃいました。ですから、藤本先生は、料理学校→就職というパターンで料理を始められたわけではなく、レストランで働きながら料理学校に通うという形でお料理の道に入られたわけです。

藤本先生が通っていた料理学校は、かの有名な辻学園。
「辻学園を卒業するにあたっては、誰でも知っているような東京の超有名ホテルを受験したんですけど、なぜかホテルのほうが僕のことを“いらない”といってきたんですよね(笑)」と、ユーモアたっぷりにお話しくださいました。
そんなとき、辻学園の掲示板に張り出された『調理系職員募集』をご覧になって応募し、見事に合格。辻学園の西洋料理主任教授としてご活躍後、5年間、アサヒビールグループ外食企業の総料理長を務め、今のように料理講師やコーディネイトのお仕事などをされるようになったのは50歳になってから。
最後に、「今後の展望は?」とおうかがいすると、

「海外に行って、仕事をしたいですね。60歳までにはアメリカに」

と、その目は世界を見据えていらっしゃいました。


◆カメラマン:宮本進先生◆

撮影中はアシスタントに厳しく指導なさっているカメラマンの宮本先生ですが、撮影が終了すれば、藤本先生と冗談をいい合うとても気さくな方です。
料理写真家としてご活躍中の宮本先生に、「カメラを始められたきっかけは?」とおうかがいすると、予想外の答えが返ってきました。

「女性にモテたかったからです」

「えっ!?」と思わず聞き返したら、「若い頃なんて、そんなものですよ。目立つことをやったら、女性にモテると思って。モテたかったから、写真を始めたんです」と、あっけらかんとしたお答え。
なるほど。でも、女性にモテたくて始めたのに、どうして料理写真家なんでしょう?
「それはね。僕らの時代は、最初から自分の好きなように仕事なんて選べませんでしたから。たまたま最初についた写真家の方が、料理関係の写真を撮る方だった。だから僕も必然的に料理の写真を撮るようになったんです」

料理写真家となった宮本先生が独立されたのは30歳のとき。
「このままだと自分がダメになる」と思われて独立したものの、最初の10年間はなかなか仕事がなくて、つらい時期が続いたそうです。
「それでも、人間ってどうにかして食べていけるものなんですね」と宮本先生。
そんな宮本先生が常にこだわっておられたのが、「料理」の写真を撮ること。
どれだけ仕事の依頼がないときでも、料理の写真以外は撮るつもりはなかったそうです。

「僕はね、不器用なんです。不器用だから、料理の写真しか撮ってこなかった。だけど、逆にそういうふうに1つのことだけを特化してやってきたから、今、こうしてカメラマンを続けてこられたんだと思いますね」

最後に、宮本先生の人生観が垣間見える奥の深いお話で、インタビューは終了しました。

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撮影の合間に今回のお料理の試食を少しさせていただきましたが、どのお料理も梅の酸味がきいていて、とても食欲がそそられておいしいです!
『梅家族』9月号・10月号では、ナスやマイタケ、カボチャなど、秋の食材をふんだんにとり入れた「オリジナル梅料理」をご紹介します。
お楽しみに! (N)

2009年7月2日木曜日


6月26日、『梅家族』9月号「紘斉のいきいきインタビュー」に登場予定のゲスト アグネス・チャンさんと紘斉理事長の対談が実現しました。

実はアグネスさんとは、26日午後に都内のホテルでお目にかかることになっていましたが、アグネスさんが「児童売春・児童ポルノ禁止法」改正案の参考人として衆議院法務委員会に招聘(しょうへい)されたために、急きょ予定変更。対談は午前中、東京都渋谷区のアグネスさんの事務所で行われることになり、紘斉理事長はじめスタッフは朝1番で、大阪伊丹空港を出発しました。
そして対談終了後、アグネスさんは大急ぎで国会に向かい、日本ユニセフ協会大使として児童ポルノの「単純所持」禁止を訴えました。

アグネスさんの社会活動は非常に多方面にわたっています。1998年に途上国の子どもの生活向上を目指すユニセフの支援組織、日本ユニセフ協会の大使に就任されて以来、今年4月の西アフリカ・ブルキナファソが12回目の海外視察になるそうです。また、昨年9月には、ご自身のがん闘病を経て、財団法人日本対がん協会の初代「ほほえみ大使」にも就任されています。

お目にかかると、本当に小柄で華奢(きしゃ)で、まるで少女のように可憐な方でした。いったいアグネスさんのどこに、この強い意志と、大きなエネルギーが潜んでいるのでしょう!

対談では、17歳で初来日したときから今日までのアグネスさんの半生を語っていただきました。
『梅家族』9月号「紘斉のいきいきインタビュー」をどうぞお楽しみに。(F)


『梅家族』9月号をお読みの方に、アグネス・チャンさんの直筆サイン本を抽選でプレゼントします。詳しくは『梅家族』9月号をお読みください。
右:『東京タワーがピンクに染まった日』(現代人文社)
左:『そこには幸せがもう生まれているから』(潮出版社)

2009年6月29日月曜日


本日は『梅家族』の「すぐできるほぐし体操(2009年7月号の記事をご覧いただけます)」でご指導いただいている加藤和美先生にお話をおうかがいしました。


加藤先生は、大阪市内各所で中高年向けの体操教室を開いておられます。
教室は定員空きの順番待ちがでるほどの人気ぶりだそうです。
人気のヒミツは先生の気さくなお人柄。
先生はいつも笑顔を絶やさず、生徒さん一人ひとりとのコミュニケーションを大切にされ、握手やハグを欠かしません。
生徒のみなさんはいつも、「先生から元気をもらった」と笑顔で教室をあとにされるそうです。

先生からお話をうかがっていると、私自身も体に力がみなぎってきました。
お話だけで、これほどの影響力があるのですから、スキンシップがあれば、なおさらでしょう。
生徒のみなさんのお気持ちがよくわかります。


先生は休日もほとんど休むことなく、所属するママさんバレーで練習に励みつつ、一方ではバレー大会の運営ボランティアとしても忙しく活動なさっています。
何事にも一生懸命で、元気のかたまりのような方です。


元気の源はなんなのでしょうか。
それはスーパー銭湯。
時間をみつけては通い、体を冷やさないように注意されているそうです。
そして、「毎日20粒の梅丹も欠かしません」とのこと。


「でも、いちばんの元気の源は、教室に来てくださる生徒さんの存在です。元気をもらっているのは、むしろ私の方です」


そうおっしゃる先生のお顔を拝見すると、いっそう晴れやかな表情をなさっていました。
生徒さんたちのお顔を思い浮かべられたのでしょう。


元気をわけて元気をもらう。

自分のことを振り返ると、人からもらった元気を、自分だけで消費してしまっているように思います。
それでは、元気をくださった方もやがて疲弊してしまうかもしれません。
地球環境を考えたリサイクルも大切ですが、笑顔と元気のリサイクルの重要さを痛感しました。 (O)

2009年6月18日木曜日

財団法人梅研究会の新人スタッフは毎年、6月になると和歌山県のみなべ町にある紀州工場に見学にいきます。
まずは梅林を見学。
ここの梅林は土がクッションのようにフカフカです。
なぜか。 梅肉エキスを製造する過程で発生した搾りカスや種を土に戻しているからだそうです。土がいいから、いい梅が採れるんですね。


続いては梅肉エキスの製造現場見学です。
工場には、採れたての梅が梅林から運ばれてきます。忙しいこの時期、フル稼働して梅肉エキスをつくっているそうです。
ベルトコンベヤーで梅を洗いながら運び、自動で梅を砕きます。この機械がすぐれもので、種を傷つけることなく、実だけ砕いてくれます。

果肉はその後、麻袋に入れられ、巨大なプレスで果汁だけを搾り取ります。 このカスや種が、さきほどの梅林の肥やしになります。
次に果汁を煮詰めます。 大人5人は入れるような容れ物に果汁を入れ、下から火で熱して煮詰めますが、この部屋の暑いこと。 立っているだけで汗が噴き出してきました。 作業をしている方にうかがったところ、数日で数キロはやせてしまうとか。
非常に忙しい時期で、お疲れになっているに
もかかわらず、工場のみなさんは見学者に優しい笑顔で接してくださいました。梅と梅肉エキスはきっと、心にも良い影響を及ぼしているのだなと思った次第です。(O)