自己紹介

吹田市, 大阪府, Japan
私たちは一般財団法人梅研究会のスタッフです。 1978(昭和53)年の創立以来、梅肉エキスやすっぱい梅干など、梅のよさを一人でも多くの方に伝え、健康に役立ててもらたいたいとの思いで、梅の学術研究・啓発・普及に努めてまいりました。 これからも一層、皆様に健康になっていただけるような情報をお届けしてまいります。 http://www.umekenkyuukai.org/

2009年7月24日金曜日

梅研究会では梅仕事の勉強のために、毎年、梅干をつくっています。
今日は土用干しを行いました。
真夏の太陽の下、塩漬けした梅を一粒一粒、丁寧にザルに並べていきます。



まず3時間ほど干し、ひっくり返して、また3時間ほど干します。
汗はダラダラ、肌はチリチリ、目はチカチカ。
暑いです。腰も痛い。膝も辛い。
土用干しは過酷きわまりない作業です。

でも、土用干しを行ったかどうかで、梅干の味は格段に変わります。
だから、どんなに辛かろうが、暑かろうが、土用干しを行うわけです(土用干しの利点は、「紘斉先生のヘルシーネット2009年7月16日分」に詳しい解説がありますので、そちらをご覧ください)。

すべては、おいしく、からだにいい、すっぱい梅干のために。

灼熱の太陽に照りつけられながらも、ただ静かに干されている梅干を見ていると、いとおしくなってしまいます。
この思いが、梅干の味をさらにおいしくさせるのでしょう。
できあがりが待ち遠しい限りです。



なお、土用干しは、炎天下での作業です。
熱中症にはくれぐれも注意して、作業を進めてください。
現在、発売中の『梅家族8月号』「松本紘斉の梅で元気!」では、熱中症を詳しく取り上げています。こちらもあわせてご覧ください。(O)

2009年7月14日火曜日

梅研究会では、梅仕事の勉強のために毎年梅干を漬けています。

今日は、塩漬けにしていた梅の実に赤じそを加えて、しそ漬けにしました。


まず、赤じそを茎つきのまま洗って、茎を輪ゴムなどで縛って逆さにつるし、しばらく陰干ししました。


葉が乾いたら、赤じその葉を一枚一枚丁寧にちぎります。赤じその葉をボウルに移し、塩を振って力強くもみます。

もみ続けていると、みるみるカサが減り始めました。しんなりしたら、強くしぼってアク汁を捨てます。

これはかなりの重労働で、額から汗も滴り落ちてきます。


再び塩を振ってもみ出すと、今度は濁った紫色の汁が出てきました。どうやら、本日最大の見せ場を迎えたようです。

ドキドキしながら、この汁を塩漬けにした梅の実の容器に移しました。すると、濁った紫色が、一瞬にして鮮やかな赤色に!

う、美しい。

なんだか、染織家になったようで、気分がいい。自然がつくり出した赤色を眺め、しばし呆然としてしまいました。


あとは赤じその葉を梅の実の上に敷き、土用干しを待つだけです。おいしいすっぱい梅干ができあがるまで、もう少し。

次はどんな姿を見せてくれるのか、楽しみです。(O)

2009年7月8日水曜日

『梅家族』9月号・10月号用のお料理の撮影に行ってきました!
「おはようございます」と挨拶してスタジオに一歩入ると、料理講師の藤本先生やカメラマンの宮本先生、それに撮影アシスタントの方々がにこやかにご挨拶してくださいます。
準備がすべて整ったら、撮影はすぐに
スタート。
藤本先生によって美しく器に盛られたお料理を、宮本先生が撮影していきます。
いつものことながら、とても手際が良く、藤本先生と宮本先生のコンビネーションは抜群です。
そのうえ、撮影の合間におふたりが時折かわす会話はまるで漫才のようで、スタジオの雰囲気は終始和気あいあいとしてなごやかです。

今回は、撮影後に、特別に藤本先生と宮本先生にインタビューさせていただきました。

(写真後列・左から)
料理講師:藤本先生
有限会社食プロデューサー:田中さん
料理写真家:宮本先生
(写真前列)撮影アシスタントのみなさん


◆料理講師:藤本喜寛先生◆

お料理の講師だけでなく、料理店舗コンサルティングやパーティー&イベントのプロデュースなど、さまざまなフードビジネスに携わっておられる藤本先生。
とても明るいお人柄で、撮影中はいつも冗談をいって、その場の雰囲気をなごませてくださいます。

そんな藤本先生が、お料理を始めるようになった発端は高校生のとき。
藤本先生のご両親は休日もお仕事で忙しく、家におられないことが多かったことから、ご自分でご飯を作るようになったそうです。その後、親元を離れ、レストランに住み込みで2年半ほど働いていらっしゃいました。ですから、藤本先生は、料理学校→就職というパターンで料理を始められたわけではなく、レストランで働きながら料理学校に通うという形でお料理の道に入られたわけです。

藤本先生が通っていた料理学校は、かの有名な辻学園。
「辻学園を卒業するにあたっては、誰でも知っているような東京の超有名ホテルを受験したんですけど、なぜかホテルのほうが僕のことを“いらない”といってきたんですよね(笑)」と、ユーモアたっぷりにお話しくださいました。
そんなとき、辻学園の掲示板に張り出された『調理系職員募集』をご覧になって応募し、見事に合格。辻学園の西洋料理主任教授としてご活躍後、5年間、アサヒビールグループ外食企業の総料理長を務め、今のように料理講師やコーディネイトのお仕事などをされるようになったのは50歳になってから。
最後に、「今後の展望は?」とおうかがいすると、

「海外に行って、仕事をしたいですね。60歳までにはアメリカに」

と、その目は世界を見据えていらっしゃいました。


◆カメラマン:宮本進先生◆

撮影中はアシスタントに厳しく指導なさっているカメラマンの宮本先生ですが、撮影が終了すれば、藤本先生と冗談をいい合うとても気さくな方です。
料理写真家としてご活躍中の宮本先生に、「カメラを始められたきっかけは?」とおうかがいすると、予想外の答えが返ってきました。

「女性にモテたかったからです」

「えっ!?」と思わず聞き返したら、「若い頃なんて、そんなものですよ。目立つことをやったら、女性にモテると思って。モテたかったから、写真を始めたんです」と、あっけらかんとしたお答え。
なるほど。でも、女性にモテたくて始めたのに、どうして料理写真家なんでしょう?
「それはね。僕らの時代は、最初から自分の好きなように仕事なんて選べませんでしたから。たまたま最初についた写真家の方が、料理関係の写真を撮る方だった。だから僕も必然的に料理の写真を撮るようになったんです」

料理写真家となった宮本先生が独立されたのは30歳のとき。
「このままだと自分がダメになる」と思われて独立したものの、最初の10年間はなかなか仕事がなくて、つらい時期が続いたそうです。
「それでも、人間ってどうにかして食べていけるものなんですね」と宮本先生。
そんな宮本先生が常にこだわっておられたのが、「料理」の写真を撮ること。
どれだけ仕事の依頼がないときでも、料理の写真以外は撮るつもりはなかったそうです。

「僕はね、不器用なんです。不器用だから、料理の写真しか撮ってこなかった。だけど、逆にそういうふうに1つのことだけを特化してやってきたから、今、こうしてカメラマンを続けてこられたんだと思いますね」

最後に、宮本先生の人生観が垣間見える奥の深いお話で、インタビューは終了しました。

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撮影の合間に今回のお料理の試食を少しさせていただきましたが、どのお料理も梅の酸味がきいていて、とても食欲がそそられておいしいです!
『梅家族』9月号・10月号では、ナスやマイタケ、カボチャなど、秋の食材をふんだんにとり入れた「オリジナル梅料理」をご紹介します。
お楽しみに! (N)

2009年7月2日木曜日


6月26日、『梅家族』9月号「紘斉のいきいきインタビュー」に登場予定のゲスト アグネス・チャンさんと紘斉理事長の対談が実現しました。

実はアグネスさんとは、26日午後に都内のホテルでお目にかかることになっていましたが、アグネスさんが「児童売春・児童ポルノ禁止法」改正案の参考人として衆議院法務委員会に招聘(しょうへい)されたために、急きょ予定変更。対談は午前中、東京都渋谷区のアグネスさんの事務所で行われることになり、紘斉理事長はじめスタッフは朝1番で、大阪伊丹空港を出発しました。
そして対談終了後、アグネスさんは大急ぎで国会に向かい、日本ユニセフ協会大使として児童ポルノの「単純所持」禁止を訴えました。

アグネスさんの社会活動は非常に多方面にわたっています。1998年に途上国の子どもの生活向上を目指すユニセフの支援組織、日本ユニセフ協会の大使に就任されて以来、今年4月の西アフリカ・ブルキナファソが12回目の海外視察になるそうです。また、昨年9月には、ご自身のがん闘病を経て、財団法人日本対がん協会の初代「ほほえみ大使」にも就任されています。

お目にかかると、本当に小柄で華奢(きしゃ)で、まるで少女のように可憐な方でした。いったいアグネスさんのどこに、この強い意志と、大きなエネルギーが潜んでいるのでしょう!

対談では、17歳で初来日したときから今日までのアグネスさんの半生を語っていただきました。
『梅家族』9月号「紘斉のいきいきインタビュー」をどうぞお楽しみに。(F)


『梅家族』9月号をお読みの方に、アグネス・チャンさんの直筆サイン本を抽選でプレゼントします。詳しくは『梅家族』9月号をお読みください。
右:『東京タワーがピンクに染まった日』(現代人文社)
左:『そこには幸せがもう生まれているから』(潮出版社)