『梅家族』9月号・10月号用のお料理の撮影に行ってきました!
「おはようございます」と挨拶してスタジオに一歩入ると、料理講師の藤本先生やカメラマンの宮本先生、それに撮影アシスタントの方々がにこやかにご挨拶してくださいます。
準備がすべて整ったら、撮影はすぐに
スタート。
藤本先生によって美しく器に盛られたお料理を、宮本先生が撮影していきます。
いつものことながら、とても手際が良く、藤本先生と宮本先生のコンビネーションは抜群です。
そのうえ、撮影の合間におふたりが時折かわす会話はまるで漫才のようで、スタジオの雰囲気は終始和気あいあいとしてなごやかです。
今回は、撮影後に、特別に藤本先生と宮本先生にインタビューさせていただきました。
(写真後列・左から)
料理講師:藤本先生
有限会社食プロデューサー:田中さん
料理写真家:宮本先生
(写真前列)撮影アシスタントのみなさん
◆料理講師:藤本喜寛先生◆
お料理の講師だけでなく、料理店舗コンサルティングやパーティー&イベントのプロデュースなど、さまざまなフードビジネスに携わっておられる藤本先生。
とても明るいお人柄で、撮影中はいつも冗談をいって、その場の雰囲気をなごませてくださいます。
そんな藤本先生が、お料理を始めるようになった発端は高校生のとき。
藤本先生のご両親は休日もお仕事で忙しく、家におられないことが多かったことから、ご自分でご飯を作るようになったそうです。その後、親元を離れ、レストランに住み込みで2年半ほど働いていらっしゃいました。ですから、藤本先生は、料理学校→就職というパターンで料理を始められたわけではなく、レストランで働きながら料理学校に通うという形でお料理の道に入られたわけです。
藤本先生が通っていた料理学校は、かの有名な辻学園。
「辻学園を卒業するにあたっては、誰でも知っているような東京の超有名ホテルを受験したんですけど、なぜかホテルのほうが僕のことを“いらない”といってきたんですよね(笑)」と、ユーモアたっぷりにお話しくださいました。
そんなとき、辻学園の掲示板に張り出された『調理系職員募集』をご覧になって応募し、見事に合格。辻学園の西洋料理主任教授としてご活躍後、5年間、アサヒビールグループ外食企業の総料理長を務め、今のように料理講師やコーディネイトのお仕事などをされるようになったのは50歳になってから。
最後に、「今後の展望は?」とおうかがいすると、
「海外に行って、仕事をしたいですね。60歳までにはアメリカに」
と、その目は世界を見据えていらっしゃいました。
◆カメラマン:宮本進先生◆
撮影中はアシスタントに厳しく指導なさっているカメラマンの宮本先生ですが、撮影が終了すれば、藤本先生と冗談をいい合うとても気さくな方です。
料理写真家としてご活躍中の宮本先生に、「カメラを始められたきっかけは?」とおうかがいすると、予想外の答えが返ってきました。
「女性にモテたかったからです」
「えっ!?」と思わず聞き返したら、「若い頃なんて、そんなものですよ。目立つことをやったら、女性にモテると思って。モテたかったから、写真を始めたんです」と、あっけらかんとしたお答え。
なるほど。でも、女性にモテたくて始めたのに、どうして料理写真家なんでしょう?
「それはね。僕らの時代は、最初から自分の好きなように仕事なんて選べませんでしたから。たまたま最初についた写真家の方が、料理関係の写真を撮る方だった。だから僕も必然的に料理の写真を撮るようになったんです」
料理写真家となった宮本先生が独立されたのは30歳のとき。
「このままだと自分がダメになる」と思われて独立したものの、最初の10年間はなかなか仕事がなくて、つらい時期が続いたそうです。
「それでも、人間ってどうにかして食べていけるものなんですね」と宮本先生。
そんな宮本先生が常にこだわっておられたのが、「料理」の写真を撮ること。
どれだけ仕事の依頼がないときでも、料理の写真以外は撮るつもりはなかったそうです。
「僕はね、不器用なんです。不器用だから、料理の写真しか撮ってこなかった。だけど、逆にそういうふうに1つのことだけを特化してやってきたから、今、こうしてカメラマンを続けてこられたんだと思いますね」
最後に、宮本先生の人生観が垣間見える奥の深いお話で、インタビューは終了しました。
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撮影の合間に今回のお料理の試食を少しさせていただきましたが、どのお料理も梅の酸味がきいていて、とても食欲がそそられておいしいです!
『梅家族』9月号・10月号では、ナスやマイタケ、カボチャなど、秋の食材をふんだんにとり入れた「オリジナル梅料理」をご紹介します。
お楽しみに! (N)