自己紹介

吹田市, 大阪府, Japan
私たちは一般財団法人梅研究会のスタッフです。 1978(昭和53)年の創立以来、梅肉エキスやすっぱい梅干など、梅のよさを一人でも多くの方に伝え、健康に役立ててもらたいたいとの思いで、梅の学術研究・啓発・普及に努めてまいりました。 これからも一層、皆様に健康になっていただけるような情報をお届けしてまいります。 http://www.umekenkyuukai.org/

2010年4月27日火曜日

日テレ「DON!」に「昔ながらのすっぱい梅干」登場!

4月26日、お昼11時55分からの日本テレビ「DON!」の冒頭コーナー『チョット気になる!「梅干し特集」』で、梅研究会が扱っている「昔ながらのすっぱい梅干」が紹介されました。
番組では、生まれてから1度も梅干を食べたことがないという日テレの桝太一アナウンサーが、司会の中山秀征さんにすすめられて「昔ながらのすっぱい梅干」を試食。「すっぱー!」と顔をクシャクシャにされていました。日本人の大人で梅干を食べたことのない人がおられることには、ちょっとびっくり。でも、スタジオには全国から50種類もの梅干が集められているのに、中山秀征さんが「むかしながらのすっぱい梅干」をわざわざ選んでくださったのは、「むかしながらのすっぱい梅干」が数ある梅干のなかでも、とくにすっぱかったからでしょうね!これをきっけに、桝アナウンサーが梅干好きになってくださるといいですね!!番組の模様は「DON!」ホームページでも紹介されています。

2010年4月24日土曜日

お料理の撮影に行ってきました!

『梅家族』7月号&8月号のお料理の撮影に行ってきました。
撮影のスタジオとなるのは、料理研究家・田中愛子先生主宰の「キッチンカンバセーション」です。
撮影は午前10時から開始ですが、みなさんスタジオに9時すぎには集まって、撮影の準備に取り掛かります。

(キッチンカンバセーションの一室。こちらでお料理の試食をします)

(カメラのセッティング中)

写真を見ていただければおわかりの通り、お料理の撮影をするためには、これだけの機材が必要なのです!
カメラマンの宮本先生は、撮影の度に、機材をすべてスタジオまで持ち運んでいらっしゃいます。
いつも大荷物を運び込まれる姿を見る度に、カメラマンは颯爽として格好良いイメージが強いけれど、実際はとっても重労働をともなう仕事でもあるんだなぁと実感します。

宮本先生は、お料理の品が変わるたびに、カメラやライトの位置を変えたり、光がキレイに当たるように反射板を使ったりいろいろ工夫されます。田中先生のお料理の雰囲気を損なわないように、きちんとお料理の姿を写真で再現できるまで、決して妥協されません。
それに田中先生のお料理の盛りつけ方は、さすがにプロの技!
さりげないことだけど、盛りつけ方ひとつで、お料理のおいしさって変わるんですよね。
田中先生のお料理を作る時は、レシピだけじゃなく、ぜひ盛りつけ方もご参考になさってください♪

(宮本先生とお料理アシスタントの方)

今回は特別に、お料理の撮影中に写真を撮らせていただきました。
できるだけお邪魔にならないように、背後からこっそりと…。

(田中愛子先生)

(田中先生とアシスタントの方々)

宮本先生がお料理の撮影中、田中先生は次のお料理に取り掛かっています。
これが絶妙のタイミングで、ちょうど宮本先生が写真をひとつ撮り終わった頃に、次のお料理ができあがるのです!
実は田中先生と宮本先生は、何十年という長いお付き合いがあるそうで、宮本先生は田中先生のことを「愛子さん」とお呼びになります。
お二人の息の良さは、長年の信頼関係にもとづくものなんですね。

(仲良しの田中先生と宮本先生

本日の撮影終了後に、おふたりのツーショットを撮影させていただきました。
いつも『梅家族』に、おいしいお料理のご提供をありがとうございます!

田中先生のお料理は、『梅家族』に好評連載中です。
『梅家族』のお申し込みは、お電話・FAX・はがき・メールのいずれかで受付けております。
詳しくは、0120-06-2468(土日祝除く9:00〜17:30受付)までお電話いただくか、梅研究会ホームページの「健康情報誌・梅家族」→「『梅家族』購読のご案内」をご覧ください。
5月1日発行の最新6月号では、「梅と新ごぼうの炊き込みご飯」「梅ゼリー」「新しょうがの梅酢漬け」「鱧と梅の葛椀」をご紹介しています。
大勢の皆様からのお申し込みを、心からお待ちしています!

2010年4月19日月曜日

『梅家族』5月号のゲストは松島トモ子さん


現在50歳以上の方なら、子役時代の松島トモ子さんを知らない人はいらっしゃらないでしょう。当時の松島さんは、まさに国民的アイドル。少女雑誌では表紙から本文、1冊のほとんどが松島さんの記事で埋まることもあったそうです。しかし、松島さんは、その人気を断ち切って、英語とダンスの勉強のために、18歳で単身アメリカに留学されます。ところが、あまりに小さいころから人気者だったために、仕事と勉強以外したことがなく、留学当時は雨が降っても、傘をさすことさえ思いつかないくらい何もできなかったそうです。今月号の対談では、シベリアで戦死なさったお父さまのこと、ライフワークになさっている車椅子ダンスの魅力など、子役から現在にいたるまでの松島さんの半生を語っていただきました。松島さんの大きな澄んだ目は、子役時代そのままでした。